岩手スポーツマガジンStandard(スタンダード)岩手をひとつにするのは、スポーツだ〜After 3.11『釜石シーウェイブス』〜

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[4/13更新] 釜石復興のシンボル 釜石シーウェイブスの震災後とこれから

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破壊された鉄の町・釜石

 かつて“鉄の町”として栄えた釜石市。ここもまたマグニチュード9.0という世界最大級の巨大地震によって凄惨な被害がもたらされた場所のひとつである。市内嬉石町、松原町、平田町の一部、そして魚市場のある浜町から駅にかけては大津波に蹂躙され、建物は崩れ落ち、車が転がる壊滅的な状況だ。メインストリートはいまだ土埃が舞い、歩道はがれきの山。電柱は薙ぎ倒され、民家や店舗は斜めに傾き今にも倒壊しそうな状態。町そのものが破壊されていた。

 釜石市は筆者の故郷でもある。昔から慣れ親しんだ風景が変貌、もしくは消滅したのを目の当たりにし、言葉を失った。テレビで観ていたのとは比べ物にならないほどの惨状だった。

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(写真:釜石市民文化会館前の様子。道路脇にはがれきが山積されていて、すれ違うのもやっとだ)

選手の熱い想いとボランティア活動

 それでも人々は前を向く。釜石シーウェイブスで主務を務める仲上太一さんもそのひとりだ。「今はラグビーのことはまったく考えられない。自分たちは釜石ありきのチームなので、まずは釜石の復興が最優先。生活スタイルを少しでも早く元の状態に戻すことが急務です」と心境を語る。それは仲上さんだけでなく、釜石シーウェイブスの選手・スタッフ全員の想いでもあるのだろう。次のようなエピソードがある。

 釜石シーウェイブスには、オーストラリア・カナダなどの外国籍選手も所属している。震災後のある日、震災、そしてそれに伴う原発事故の影響から、それぞれの大使館の人間が帰国要請のため彼らのもとを訪れた。そこでそれぞれの選手が家族と通話。ロックとして活躍するスコット・ファービーも母親と話した。不安がる母親は彼に帰国するよう訴えたが、彼は「オレやほかの外国人選手は帰国すれば家がある。でも釜石の人はそこに住み続けなければならない。今この状態で帰国することは正しい判断とは思わない」と自分の意志を曲げなかったという。彼らは、困難な生活を承知のうえで釜石を支えることを選んだのだった。その後、チームの今後の方針が決定したため4月初旬に一時的に帰国したが、釜石に対する熱い想い、そして選手と地域の結びつきの強固さを実感させられる挿話である。

 話は地震発生後に戻る。プロ契約を結ぶ選手は新日鐵釜石からの依頼で、老人保健施設で、高齢者や体の不自由な方の補助を手伝った。数日後には市のボランティアセンターに場所を移し、物資の積み降ろしなどのボランティア活動に自主的に参加。釜石駅横のシープラザ釜石内にあるボランティアセンターへ向かう際も、バスを使わず徒歩で移動。「移動の途中で困っている人がいたら助けてあげたい」との想いからバスではなく徒歩で向かった。それ以外の選手は自らの職場に戻り、整理や対応に追われる毎日を送っている。

 チームは一旦解散し、5月2日に再集合することが決まった。それまでの約1ヶ月間は各自ができる範囲で自主トレーニングに励むという。

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(写真:釜石駅隣のシープラザ釜石にて物資の積み降ろしのボランティアに参加する選手たち。)

復興に向けて広がる支援の輪

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(写真:左からチームトレーナーの小久江竜一さん、スコット・ファーディーさん、ルイ・ラターヘーパエアさん)

 取材をさせていただいたクラブハウス内には支援物資の数々が保管されていた。中でも目をひいたのが、きりたんぽと比内地鶏のスープだ。「秋田ノーザンブレッツさんがトラックで届けてくれました。涙が出るくらいおいしかった」と仲上さん。秋田ノーザンブレッツは釜石シーウェイブスとともに東北の代表としてトップイーストに所属するチーム。今回の震災でいち早く支援物資を提供してくれた。他にも紫波オックス、福岡サニックスブルースなど県内外のラグビーチームからも食料や物資が届き、中には炊き出しを行ってくれるチームも。ラグビーというスポーツが、そして選手が持つ“ラグビースピリット”が支援の輪を広げ、大きな支えとなったのである。

ラグビーは釜石の希望の光となる

 釜石にとってラグビーとは特別なスポーツだ。松尾雄治を擁し、1978年から日本選手権7連覇の偉業を成し遂げた新日鐵釜石の栄光は今も語り草である。釜石シーウェイブスは少年タグラグビーの指導にも力を入れている。「釜石のスポーツと言えば?」と聞けば、ほとんどの人がラグビーと答えるだろう。それ故に、ラグビーの持つ影響力は非常に大きい。

 冒頭の仲上さんの言葉にもあったように、「ラグビーのことをまったく考えられない」のが今の釜石だ。ライフラインの復旧はもとより、仮設住宅の問題、雇用の問題など不安は募る一方である。ではどこに希望を見出すのか? やはりラグビーなのだと思う。そのひたむきでガッツあふれるプレーは、観る者の心に何かしらの感情を抱かせてくれるはずだ。仲上さんはインタビューの中で次のように話してくれた。「もしも釜石のみなさんが許してくれるのであれば、もしリーグ戦に参戦できるのであれば、うちの選手は絶対に気持ちのこもったプレーを見せます。勝つに越したことはないですが、仮に全敗したとしても、参加して前へ向かう姿勢を見せることに意義があると信じています」。

 例年通りであれば、リーグ戦は9月に開幕する。

 震災は人の心にどんよりとした厚い雲を生みだした。その雲間から射す一筋の光になり得る存在が、他ならぬ釜石シーウェイブスなのではないだろうか。

 大津波は釜石の形を、人の心を、すべてを変えてしまった。ゆっくりではあるが確実に進む町の復旧とともに、シーウェイブスの大波が釜石の心の傷跡を流し去ってくれる日がくると信じている。

(取材/高橋拓磨・写真/坂本廣美)

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(写真:「まずは釜石の復興がなにより急務」と話す釜石シーウェイブス主務の仲上太一さん)


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