岩手スポーツマガジンStandard(スタンダード)岩手をひとつにするのは、スポーツだ〜After 3.11『敗者なき夏 〜宮古工業高校編〜』〜

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[11/15更新]敗者なき夏 宮古工業高校編

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苦難を越えて、また苦難。

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 第93回全国高校野球選手権岩手大会。夏の甲子園出場校を決めるこの大会の抽選会で、宮古工業高校の初戦の相手は第二シード校・水沢高校に決まった。水沢高校は今年の春季県大会で準優勝を果たした強豪。一方の宮古工業高校は沿岸北地区予選で敗退し、県大会にも出場できなかった。同校を率いる赤沼正博監督は、ふたたび訪れた“苦難”につぶやいた。「いいことないなあ」と。初戦はもう少しラクな相手を当たりたかった。それが偽らざる心境だっただろう。

 あの「3.11」から苦難の連続だった。宮古工業高校の校舎は、海からの直線距離で1km以上離れた場所にある。その距離さえも東日本大震災の津波は易々と越えた。海への流れ込む水路を逆流した津波は、閉ざされた水門を越えて迫ってくる。その光景を思い出しながら赤沼監督は語ってくれた。「津波がここまで来るなら、町の中心部はとんでもない被害。たぶん多くの人が亡くなっているだろう。こんなひどいことがあっていいのか。神様はいないんだろうなと思いました」津波はついには練習グラウンドを飲み込み、校舎まで押し寄せた。それからは今日を生きることで精いっぱい。明日のことさえも考えられない。野球ができるようになってからも、練習グラウンドを求めて転々とする日々が続いた。いいことなど、何ひとつない。ただ、野球をやるという気持ちだけは消えることがなかった。

右翼席に弾んだホームラン、そこからドラマが始まった。

 7月15日、岩手県営球場第三試合。宮古工業高校対水沢高校。天候は不順で降ったり止んだりを繰り返している。第二試合終了後に強さを増した雨の影響で、試合開始は遅れていた。赤沼監督は水沢高校との対戦が決まった後も、対策を立てることはしなかったという。というか、立てることが出来なかったと言うほうが正しい。練習も満足にできない状況下では、それもしょうがない。おそらく球場に足を運んだほとんどの人が水沢高校の勝利を予想していただろう。勝算はないが、わずかな光明はある。赤沼監督はその一点に賭けていた。「練習試合でも、うちの選手は、右の本格派ピッチャーは、けっこう打つんですよ。逆に左や軟投派はまったく打てていなかった」

 水沢高校は、左右の二本柱で戦うチーム。宮古工業高校戦では、右の菅原紀喜(3年)が先発のマウンドに上がった。これがドラマのはじまりだったのかも知れない。宮古工業高校一回表の攻撃、3番の佐々木翔太(3年)がヒットで出塁。二死2塁の場面で4番の吉川義人(3年)が打席に入った。金属バットの快音が響くと、打球は右翼席に飛び込む先制ツーランホームラン。県下有数の剛腕投手からいきなり奪った得点にベンチから歓声が上がった。打線が奪った2点を先発のマウンドに立つ尾形貢(3年)が必死の投球で守っていく。尾形は右サイドハンドのピッチャーだ。目を見張るような球速はないが、緩急を使った丁寧なピッチングで水沢高校打線をかわしていった。「尾形は見て通りのピッチャーです。緩急を使わないと上位校には通用しないよと言い続けてきました。彼は冬の間に鍛えて5~6キロ体重を増やした。ところが、震災で食べられない時期に8キロ落ちてしまった。すぐに元に戻ったんですが、そういう過酷な経験を経て、精神的に強くなった。それがこの日のピッチングにつながったと思う」

 試合は三回裏に同点に追いつかれ2-2に。そして四回表に内野失策の間に上げた1点を追加し、3-2で宮古工業高校が再びリードを奪う。五回以降は、両チームとも決め手を欠き、スコアボードには「0」が並んでいく。選手たちは試合ができることを純粋に喜び、一回一回を大切に戦っていった。ベンチから見つめていた赤沼監督は選手の奮闘を頼もしく思いながらも、その心は最後まで落ち着くことはなかった。「ベンチに選手が戻ってくれば、“九回やれば、最低九回ピンチがあると思え”なんてゲキを飛ばしていました。でも勝利を確信した瞬間なんてありませんでしたね。ビクビクして負けることばかり考えていました。一度でもひっくり返されたら終わりだったでしょうね。なんか不思議な、夢のような試合でした」

 尾形が凌ぎに凌ぎ切り、ついには3-2で強豪・水沢高校を退けた。宮古工業高校はこの試合の前日に、盛岡工業のグラウンドを借りて練習していた。その時に、盛岡工業高校野球部の高橋透部長に「1000年に一回の津波を乗り越えたんだから、1000年に一回の間違いを起こしてみろや」と激励を受けたと言う。1/1000の“間違い”は起きた。

 球場を後にする選手たちは、本当にいい顔をしていた。やりきったという充実感と野球を心底楽しんだという確かな実感。宮古へ戻るバスの中は、きっと大騒ぎだったことだろう。

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俺たちは負けない。強い気持ちが勝利を引き寄せた。

 宮古工業高校の次の試合は、7月17日、花巻球場第三試合だった。相手は初戦で千厩高校を七回コールドで下し、勝ち上がってきた一関工業高校。いわば“工業高校対決”。この試合にも赤沼監督は特別な思いを持っていた。「毎年八月に、工業高校を中心に集めた“ライジングサンカップ”という大会を野田でやるんですよ (2011年は震災の影響により中止)。昨年のこの大会で、一関工業さんは優勝戦線にも絡んでいましたし、力的には、あちらのほうが上だと思っていました」そして、それ以上に気にかけていたのは選手たちの心の緩み。「水沢高校戦の後、ちょっと勘違いしているような雰囲気があったんですよ。俺たちは強いという気持ち。半分、自信。半分、油断という感じです」

 試合は序盤から活発に動いていく。一回表に宮古工業高校が2点を取れば、その裏に一関工業が3点を取り返す。さらに二回裏に一関工業が1点、三回表に宮古工業が2点。三回終了時点で、4-4の同点となった。この日の気温は30度を軽く越える真夏日。ベンチに戻ってきた選手はすでに汗だくになっている。沿岸地区は夏でも比較的気温が上がらない。この町で生まれ育った選手たちは暑さにまいっているように見えた。早く終わりたいという選手を前に、赤沼監督はこんな言葉でムチを入れた。「今日は夕方6時までやる。延長戦で勝つよ。(水沢高校に勝って)勘違いしてないか?お前たちはチャンピオンじゃなくて、挑戦者だよ」

 それからはピンチの連続だった。試合序盤に打ち込まれた尾形が再びマウンドに登るが、四回無死満塁、五回1死三塁、七回2死満塁とピンチが続く。これらのピンチを尾形が必死に抑え込む。一方の一関工業高校のマウンドに立つのは2年生の菅原倭。宮古工業高校が苦手とする左腕投手だ。赤沼監督はじっと勝機が来るのを待っていた。「いい左がいるのは聞いていました。ただ菅原君は千厩高校戦でも投げており、いつか疲れてくるだろうと思っていました」尾形の精神力、菅原の体力。どちらが先に折れるのか。その戦いは、赤沼監督の言葉の通り、延長戦になった。宮古工業高校10回表1死一、三塁の場面。打席にはキャプテンの鈴木春(3年)が入った。「この試合の中で、鈴木は守備でまずいところがありました。キャプテンということもあり、責任を感じていたはず。この打席でやってくれそうな気がしていました」鈴木がフルスイングした打球はライトに上がり、三塁走者・阿部文芸(3年)がヘッドスライディングで生還。これが決勝点になった。

 「試合後にOBから、あそこはスクイズだったのでは?と言われることもありました。でも、鈴木は守備でもまずいところがあり、スクイズでも失敗したら、彼が負うダメージは大きいでしょう。スクイズで勝っても面白くないし、ダメだったら監督が責められればいい」そしてこう続けた。「一関工業高校戦は大事な試合でした。あの試合で負けていたら、水沢高校に勝ったのはまぐれとしか言われない。選手たちが本当によく頑張ってくれました」

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最後の試合。そして、もう一つの最後の試合。

 宮古工業高校の最後の試合。それは7月20日、岩手県営球場で行われた盛岡中央高校戦だった。試合序盤は互角の展開に持ち込んだものの、中盤から集中打を浴びせられる。5点、2点、2点と着実に得点を重ねていった盛岡中央高校。宮古工業高校も先発全員安打を記録するなど攻め込んだが、要所を締められ得点に結びつかない。結果は5-12の八回コールド負け。強豪の前に敗れ、夏が終わった。「九回までやりたかったが、そこまでやらせてあげられなかった。選手たちは控室では泣いていましたが、球場を出た後は晴れやかな顔でした」

 この2011年という“特別な年”の夏。宮古工業高校はたくさんの後押しを受けてきた。OB・OGはもちろん、見ず知らずの人にも応援してもらったことが忘れられないと赤沼監督は振り返る。そして、それが“奇跡”を起こす力になった。「本当にうれしかったし、力になった。今までなら見過ごすようなことが、どれだけありがたいことか再認識できた。だから選手たちも100%以上の力を出せたのだと思う」

 この最後の試合には、実は続きがある。11月3日、八幡平球場で、両校の3年生が引退試合で再戦を果たした。グラウンドにはあの夏から比べると少し髪が伸びた三年生の部員たち。三塁側応援席に陣取る盛岡中央高校の下級生たちは、自校だけでなく、宮古工業高校の選手たちも必死に応援している。心温まる試合だった。前半戦は尾形が好投し、0-0で折り返すが、盛岡中央高校の打線が中盤から得点を重ねる展開。1点、1点、1点、1点と奪い、突き放していく。宮古工業高校も六回に1点を返すが後が続かない。そして、試合は九回を迎える。あの夏には迎えられなかった九回だ。最後の攻撃が始まる前に、キャプテンの鈴木が円陣の中心で大きな声を上げる。「さあ、元気出して行こう!」マウンドでは盛岡中央高校のエース・大向涼介(3年)。力のこもる投球練習を繰り返していた。世代ナンバーワン投手を向こうに回して真正面から立ち向かっていく。4番の阿部文芸は出塁するが、5番の下田達大(3年)、6番の佐々木翔太(3年)、7番の南舘大地(3年)が、三連続三振に打ち取られた。同じく高校最後の試合で、大向は一切手を抜くことなく、渾身のストレートを投げ込み、宮古工業高校の選手たちは高校最高のフルスイングで応えた。誰もが清々しい笑顔を浮かべている。“グラウンドの上の卒業式”が終わった頃、あたりはすでに暗くなり始めていた。

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宮古の野球が、もう一度輝きを取り戻すために。

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 宮古工業高校・赤沼正博監督。決して口数は多くないが、言葉の一つ一つから誠実な人柄が伝わってくる。約1時間に及んだインタビューはいよいよ最後に近づいてきていた。夏の大会で印象に残った試合は?それは初戦の水沢高校戦だったと即座に応える。「この試合の帰り道は佐々木康寿部長といっしょの車だったんですが、“気をつけて帰ろうな。運を使い果たしてしまったような気がする”なんて話していたんです。自宅では下の娘から、“この活躍で野球部にも少しは部員が増えるんじゃないの”って励まされました」そして「私は宮古の生まれなので、やっぱり宮古が活気づいてほしいんです。今回の大会で、うちと宮古商業高校さんがベスト16に入りました。こういう実績を作ることで、上手な選手が外に出ていくのではなく、宮古地区で続けてくれればいいなと。あるいは、中学で野球を辞めてしまう選手が高校でも続けてくるようになればうれしい。そうすれば、また宮古地区から甲子園に行くことが出来るかもしれない」まあ大きな夢ですけどねとちょっと照れくさそうに笑った。

 この夏、宮古工業高校が戦いの中で、私たちに教えてくれたもの。それは、決してあきらめないという強い気持ちとたゆまぬ努力があれば、“奇跡”を起こすことが出来るということだ。そして今日も、赤沼正博という監督はグラウンドで部員たちとともに汗を流しているだろう。次の“奇跡”を起こすための下準備は着々と進んでいる。

(取材/菊地健二)


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