岩手スポーツマガジンStandard(スタンダード)岩手をひとつにするのは、スポーツだ〜After 3.11『山田高校野球部』〜

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[4/10更新] もう一度、グラウンドへ。わずか10人の野球部は、最大の試練に立ち向かう(山田高校野球部)

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岩手高校野球から失われた3月

 岩手の高校野球部にとって、3月は冬の自分の努力を推し量るものとして、重要な意味を持っている。一面雪に覆われる冬場は、どうしてもランニングや筋力トレーニングに時間が割かざるを得ない。一言で言ってしまえば、地味で単調。選手たちは忍耐力が求められるこの練習をコツコツと積み重ねていく。そして、ようやく岩手に春の気配が漂ってくる3月、グラウンドから雪が消え、チームプレーを含めた練習が再開される。辛い練習がどれだけの成果を自分にもたらしたのか、それを自身の身体で確かめながら、チーム全体の力を上げていく。いわば春季大会に向けて、最終調整を行う時期。その大切な時期が「3.11」の地震によって奪われた。とりわけ三陸地域が負ったダメージは、いまだ被害の全容がつかみきれないほど大きい。山田高校野球部は今、かつてない苦境に立たされている。

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(写真:海岸に近い山田町の集落は壊滅的な被害を受けた。)

打って、打って、打ちまくれ、異彩を放った山田高校の野球

 山田町はリアス式海岸のちょうど真ん中あたりに位置する漁業の町。「岩手県の縮図」と言える町は、減少傾向に歯止めがかからず人口は20,000人にも満たない。この小さな町にある唯一の高校が山田高校だ。海岸線に沿って走る国道45号線を曲がり、長い坂道をのぼった先にある校舎。坂道の途中で振り返れば、青く広がる山田湾を見渡すことができ、潮風がそよぐ。海の町の学校にふさわしい場所に山田高校は建っている。

 小さな野球部が巻き起こした旋風。2010年の山田高校野球部の戦いぶりは、まさにそんな言葉が似合う。夏の岩手県大会では強豪校と次々に打ち破りベスト16入り。秋の大会においても、わずか10人の部員で地区予選を勝ち上がり、県大会出場権を手に入れている。初戦で強豪・盛岡四高の前に3-2で敗れたが、勝利の行方はどっちに転んでもおかしくない展開だった。なぜこのチームに惹かれるのか?それは海の町らしい豪快な野球だろう。とにかく1番から9番まで思い切りよく振っていく。高校野球に緻密さが求められるようになって久しい。細かな野球を駆使していかないと頂点に登りつめることは難しいのも事実。そんな中で山田高校打線のフルスイングは清々しく、そしてキラキラと輝いていた。

 今年1月に取材で訪れたときの、小山健人監督の言葉が思い起こされる。「秋は、打って、打って、打ちまくる。それで勝てなかったらしょうがない。」そう言って笑った。そして、課題として上げていたのは、得点バリエーションを増やすこと。バント、走塁の精度を上げることを目標にしていた。力のある打撃を核にしながら、細かい野球を上乗せしていく。上位進出をにらみ鍛錬してきた結果を見せようという矢先、すぐそばにある三陸の海が暴れた。巨大な破壊者となって町に侵入した津波は、町の一切合財を飲みこみ、多くの家を、そして命を、海へ持ち去った。

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(写真:全員主役の全力野球で、県大会の切符を勝ち取った。)

野球部を存続できるか?山田高校の前に立ち塞がる試練

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(写真:スタンダード3.4月号の撮影で、山田高校野球部
員が駆け上がった坂道。現在は周囲の風景が一変。あちこち
に瓦礫の山が積まれている。)

 震災から約2週間が経ち、山田高校を訪れた。学校に向かう途中で見た山田町の風景は、以前のそれとは一変していた。一瞬にして消え失せた町、そして、わずかに残る建物には荒々しい津波の痕跡が刻まれている。巨大な怪物に噛みつかれたかのように、1階部分の骨組みがむき出しになっている建物が目立つ。山田湾に浮かんでいた無数の養殖棚は一つ残らずなくなった。高台にある山田高校に直接の被害はなかったものの、その在り方は町の風景と同じように様変わりしている。校舎は地域の人の避難所として使われ、野球のグラウンドは、避難者や自衛隊の駐車場になっていた。

 学校の受付で小山健人監督を呼び出してもらうと、監督は白い歯を見せて現れた。元気そうに見える顔にホッとするものの、その言葉からは厳しい現実が伝わってくる。「部員の中には家をなくした者もいて、学校で避難生活を送っている。その日その日が精いっぱいで、正直野球どころじゃないですよね。ただどうしても野球のことを考えてしまう時があります。いつ部活動を再開できるのかなと…」今回の津波で監督自身、家を流され、避難者の世話をしながら、山田高校の中で生活を続けている。そして部員の中には、家庭の事情で転校せざるを得ない者が出てくる可能性もあると言う。わずか10人で戦ってきた山田高校は、“再開”の前に“存続”という壁が立ちはだかっている。「今まで積み重ねてきたものはなんだったんだと…。新3年生とって最後のチャンス。なんとか大会に出してやりたいが…」監督の無念の思いにかける言葉が見つからなかった。


すべてを失っても、希望だけは残っている

 三陸地域のライフラインは不十分な状態が続いており、情報不足が続いている。小山監督からは他の学校の野球部はどうなっているかという逆取材を受けた。大船渡高校は?高田高校は?宮古商業は?同じ三陸地域で腕を競ってきた学校の名前が次々上がる。やはりその動向は気になるようだ。今回の被害をもたらしたのは、地震よりも津波。そして、校舎の建っている場所が被害の明暗を分けた。津波の難を逃れた学校では、すぐにでも野球が再開できる環境にあるものの、被害の大きい学校のことを慮って練習を控えていることが多い。小山監督は「こっちのことを思いやってくれるのはうれしいが、練習ができるなら、どんどんやってほしい。このままやらないでいたら、岩手県の高校野球のレベルが下がってしまう。気にせず再開してほしい」と言葉に力を込める。インタビュー当日、小山督が着ていたのは、山田高校野球部のグラウンドコート。それこそが監督の強い決意表明と受け取った。前代未聞の災害に翻弄されながらも「山田高校は野球をあきらめていません」という無言のメッセージ。逆境をはね返し、下馬評を覆す。少ない部員をものともせず、山田高校は何度も奇跡を起こしてきた。だからこそ、若き指揮官に率いられた10名の部員

たちは自分の足で立ち上がり、必ずグラウンドへ戻ってくる。そう信じたいのだ。グラウンドは君たちを待っている。

(取材/菊地健二)

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(写真:山田高校野球部を率いる若き指揮官・小山健人監督)

We need…(山田高校)
トレーニングウェア、練習用ユニフォーム

[山田高校野球部のその後 〜After3.11 希望の灯 篇〜]
山田丸、ふたたび海へ 春季大会予選に向かう、山田高校野球部の奮闘

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